【前編】自主練をする奴が好き、今は毎日が試合! obi-Hostel代表 高野由之さん

東京・中央区日本橋横山町。

このエリアに、2017年4月「obi HOSTEL & CAFE BAR」がオープンしました。

和モダンで雰囲気の良い空間に、2段ベッド計70名分を有した充実の設備。馬喰町駅・馬喰横山駅・東日本橋駅に隣接し、羽田空港・成田空港にも直結するアクセスの良さも魅力です。また、1階にはカフェ&バーがあり、昼は地元のビジネスマン、夜は多国籍な宿泊客の交流の場となっています。

実は、このホステルは、地元商社である日東タオル株式会社の旧本社ビルを大規模にリノベーションして開業しました。日東タオルは、私たちモラルテックスの関連会社でもあります。

リノベーションの発起人で、代表の高野由之さんから「ホステルをオープンしたい」と打診があったのは、2016年3月でした。私(鳥山)は、高野氏との交渉役として様々な課題を協議する立場ありました。課題の多さには参りましたが、打診から約1年。2017年4月、ようやくホステルのオープンにたどり着いたのでした。

モラルテックスのインタビュー企画「ボクらの街のコト」の第1回では、当社とも関係の深い「obi HOSTEL & CAFE BAR」の代表である高野由之さんに、これまでとこれからについて、お話を伺いました。

そこで出てきたキーワードは「自主練と試合」

高野さんは、冷静な分析家であるとともに、熱意ある実践家、そしていつでも前向きな精神の持ち主。でも、それにはちゃんとした理由があったのです。

 

■社会人になるまでを振り返って

ー高野さんは、今、30代半ばで私の弟と同じ世代です。子供の頃は、どんな感じだったのですか?

高野さん:

設計士の父と陶芸家の母、4人兄弟姉妹の次男として生まれました。母が兄を厳しく育てていましたが、兄は言うことを聞かずに自由奔放な生き方をしていてくれたので、いろんな意味で子育てのハードルを下げてくれた兄に感謝です(笑)

私自身は、ひと言でいえば「ガキ大将」。千葉の佐倉という田舎町でしたが、それなりに名の通った問題児でした。本来の意味での問題児という点では、兄には負けますが(笑)

 

ー子供の頃は、どんなことに興味を持っていたのですか?

そんな家だったので、親に勉強しろって言われた記憶はありませんね。でも、元々勉強は得意だったので、テストで100点満点を取らないと、母からは「何やってるの?」って顔をされてきました。

ちなみに、勉強の仕方も独特かも知れません。普通だと「公式」って覚えるものじゃないですか?でも、自分の場合は「なぜこの公式ができたのか?」ってことを、ほんと何日も考えるんです。それで、その理由が腑に落ちたら、その公式に関する問題は全て解けるようになるっていう、そういう勉強法でした。

歴史とかでも、年号を覚えるんじゃなくて、なぜこの年にそのことが起きたのかを腑に落ちるまで考える、そうすると年号を単純に記憶していなくても、結果的には覚えてました。

 

ー公式や年号を繰り返し覚えるみたいな、真面目で勉強が得意という私のようなタイプの人間には理解しできない、すごい勉強法ですね。

あとは、小さな頃からひねくれ者で、先生の言っていることや多数派の意見を信用せず、自分が納得いくまで考え、自分なりの突破口を見つけるタイプでしたね。

 

ー表面的な理解ではなく、本質を理解したいというスタンスは、すでに学生のことから養われていたのですね。部活は何かされていたのですか?

高校まではサッカーをやっていました。でも、大学で始めた空手に強く惹かれました。空手は個人スポーツなので、相手より強ければ勝つし、弱ければ負ける。全ての結果が自分に降りかかってくるところがサッカーと違って、魅力を感じました。

やっぱり、「自主練」をしている奴が試合でも力を発揮するんですよね。全体練習だけじゃなくて、自分なりに課題を見つけて、それを克服しようと努力することで、試合に勝つことができる。個人競技は性に合っていたと思います。

例えば、部活でもなんでも、自主練する奴としない奴がいるじゃないですか?社会に出ても同じですけど、個人的に自主練する奴が好きですね。やっぱり長い目でみると、自主練をしている奴が伸びていくんですよ。試合に勝ちたいという気持ちがあるかないか、だと思いますけど。

 

ー「自主練する奴が好き」って言葉にとても共感しました。人から与えられたメニューに満足せず、自分で考える姿勢ですよね。なるほど、高野さんと一緒にいると価値観があうなと思っていたのは、この辺が影響していそうですね。

 

■なぜホステル業を始めることになったのか?

ー大学卒業後、何度か転職されていると伺いましたが、ホステル事業にかかわるまでのお話を聞かせてください。

物事の本質を捉え、会社全体の経営に関わる仕事関心があったので、コンサルティング会社に就職しようと考えていましたが、まず、何年かは企業現場を修行したいと思って、トヨタ自動車に新卒から5年ほどいました。

トヨタでの仕事は、簡単に言えば、細分化された業務の範囲内で、成果を最大化することが求められましたね。なので、仕事を始めた頃から、トヨタ自動車で求められる個別業務は熟練するけど、他では使えないかもしれないという危機感がありました。裁量権も非常に狭かったですね。全体像を見ることは求められず、所属部門やプロジェクトの成果を求められました。

会社のマネジメントとしては、業務を細分化&標準化して「誰にでもできる作業」をミスなくやらせることが正しいのかもしれませんが、自分にとってはこのままではその業務しかできない人間になってしまうという危機感から、会計やファイナンスの「自主練」を始めて、自分なりに自信がついてきたところで、中堅のコンサルティング会社に転職しました。

そこは、戦略系のコンサルティング会社でした。中規模企業のオーナーが意志決定する際の壁当てとして、相談相手として情報提供をするというのが主たる業務でした。もっとも、先輩が提案するための基礎資料の整理みたいなことを深夜まで延々とやっていた印象があります。

そこには2年ほどいましたが、物事を論理的に考えるための基礎体力をつけることができたとは思います。様々な業種を担当していたので、どんな業種がきても、この手順で情報を整理すればいいという手順を見出せたので、自信がつきました。

MBAなどで扱われる理論も書籍などで全て公開されていますし、すでに経営戦略のスキームは出尽くしていると思います。過去にあったような経営者とコンサルタントの知識格差のようなものは、ほぼ無くなっています。ある意味で「コンサル会社にしか思いつかないような魔法の杖はないんだ」ということが腑に落ちたのも、ここでの経験からだと思います。

 

ーその後、地域経済活性化機構に移られましたよね。

はい。昔の名前は産業再生機構で、今は「地域経済活性化支援機構」という名前の政府系のファンドです。30歳を前に自分のスキルを活かして好きなことにテーマを絞って仕事をしていきたいなと思うようになりました。そこで父親も取り組んできた地域の歴史や文化、町並みを活かしたまちづくりを「事業」として手掛けていこうと考えました。

ーお父様は設計士で、古民家再生に関わられているとお聞きしていましたが。

父は「高野デザインプロデュース」という建築設計事務所をしていました。若い頃は、現代的な美術館などを設計していたんですが、本人が40歳の頃に古民家に魅せられて、急に、家族の反対を押し切り、千葉の印旛村という場所にある江戸中期に建てられた築300年の古民家を買いました。住まいは千葉の佐倉というところだったのですが、古民家を買った印旛村は、そこから車で30分ぐらいかかるところで、田んぼの中に小さな集落があるいわゆる農村地帯で、小さいころは古民家よりも周りの川や田んぼで友達と魚を採ったりして遊んでました(笑)

父はその古民家をリノベーションして、勤めていた乃村工藝社も脱サラしてそこにデザインオフィスを開きました。もう30年近く前ですから、今のようにリノベーションが流行するずっと前のことです。隣には、陶芸家の母親のためにモダンなアトリエも建てています。父親は後に千葉古民家再生協会の代表も務めました。

今はいろんなところで「古民家」というワードや、古民家をリノベーションしたカフェとかをよく見かけますが、当時は「古民家」というワードすら誰も知らないような時代でかなり珍しかったと思います。時代の半歩先を行く人が成功するといいますが、父親は時代の1歩先をいったようで、早すぎましたね。あと20年遅ければもっと有名になって儲かっていたと思います(笑)

 

ーホステル事業に取り組むきっかけは、どんなことだったんですか?

地域経済活性化機構の仕事が、これまでに比べて圧倒的に楽しかったですね。ある地域を任されて活性化のお手伝いをするんですが、裁量権もあって、地域を成長させることに関われていることが何より嬉しかったです。活性化する内容も古民家や歴史的町並みを活用したようなプロジェクトが多く、自分自身の好きなことを仕事にできて、それも楽しかったです。

そんな中、学生時代の友達や職場の同僚と蔵前のnuiというホステルを視察に行って、価値を一度は失ってしまった建物なのに、新しい価値を吹き込んで海外のインバウンド客がめちゃくちゃ集まっているんですね。友達6人でこんなことができたら面白いよね、って話をしたのが始まりです。

それから物件探しが始まりました。大手不動産系に話を聞きに行ったり、気になる街を歩いて地元の不動産屋さんの話を聞いたりしました。インバウンド需要の伸びは理解していたので、それに対応できる立地を探していました。

3ヶ月ぐらい探している中で、東日本橋エリアが、現在の価値(賃料水準)のわりに、伸びるポテンシャルが高いと思うようになったんです。繊維問屋の閉店が進んで賃料水準は下がっていましたが、海外客にとってはアクセスの良さなどの魅力が十分にあると思いました。

ちなみに、私の祖父は、銀座で「はなぎや」という和菓子屋をやっていて、地元自治会の役員みたいな役割もやっていたことがあるそうです。もう閉店していますが、それもあって、中央区日本橋には縁があるのかもしれません。

 

■この場所を選んだ理由と現在

ー業種や視点を変えると、街の見え方も違うものですね。私としては、店舗を移転しようとしていた段階だったので、思いもつきませんでした。また、銀座に店舗を構えていらっしゃったとは・・・驚きです。なぜ、最終的にこの場所に決めたんですか?

実際、申し込みをした日には、2カ所を視察することになっていて、もう1カ所の方が事前情報だけだとよかったのですが、日東タオルさんの物件を見たら、断然こちらの方が気に入って、すぐに申し込みました。

その頃、犬も歩けば棒に当たるって、メンバーで話していました。日東タオルさんの物件と鳥山さんと出会って、これは面白くなりそうだって。鳥山さんと何度もミーティングを重ねながら、街を活性化したいという熱量というか、高い理想を感じて、「一緒に盛り上げたい」って思いをいつも持っていました。

 

ーオープンまで、結構な課題が次々ときましたもんね。

そうですね。何度も「中止すべきではないか」ってお話をしましたね。でも、打ち合わせの場面では、お互いに「どうやったら実現できるか」という視点で話ができていたので、不思議な信頼関係がありました。むしろ、最後の方は、信頼関係のみでオープンにこぎつけた感がありますが(笑)

ーそうですね。代表の高野さんへの信頼関係がなかったら、間違いなく、この話は進んでいないと思います。

オープン前も、オープンしてからも感じているんですが、1軒目のホステルが日東タオルさんとの事業で本当によかったなと思います。地域との関わりがとても深くて「日東タオルさんと一緒にやらせて頂きます」というだけで、地域の方々の対応が全然違うんですよ。

地域経済活性化機構の仕事でいろいろな地域をみてきたので、その大きな違いは痛感しましたね。普通「ヨソ者」には、行政も、街の方も、近隣の方も冷たい。それが、皆さんが「日東タオルさん」というだけで、はじめから話を聞いていただけるんです。それがすごく助かりましたし、多少のトラブルがあっても乗り越えることができました。

本人を前にして言うのは変ですが、本当に、これだけ度量が座った名士がいる地域って少ないんですよ。だから、我々は恵まれているし、その恩返しをしなきゃいけないって思っています!

 

ーそれは、私の度量ではなく、祖父や父が地域で努力してきたと言うことに尽きると思います。そして、この地域の危機感を共有して、前進する同志を得たと言う意味では、私にとっても嬉しい出会いでしたね。

 

(後編へ続く)

 

*今回インタビューしたお相手:

高野由之さん

1984年、千葉県生まれ

京都大学卒業後、経営コンサルティング会社、政府系ファンドを経て、obi HOSTELを運営する「株式会社catalyst」の代表取締役に就任。世界にある歴史的な建築物や街並み、美しい自然を活かしたホテルをプロデュースすることを目指して活動中。趣味は釣りと旅行。特技は格闘技(キックボクシング)で、毎年パタヤにムエタイ合宿にも参加。独身・彼女募集中だそうです♪

 

今回取材した「obi HOSTEL & CAFE BAR」の情報はコチラから

↓↓↓

https://www.obi-hostel.com

 

取材・記事執筆:

モラルテックス代表 鳥山貴弘

 

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